(2012-02-14 21:07:57)
『「家もおもちゃも流されちゃったけど、みんながいるなら大丈夫だね!」』
執筆者:高橋 芳喜
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はい、いつもありがとうございます!
愛読書が「週刊ゴング」と「週刊プロレス」の高橋です。
HamanasuのホームページやFacebookを見て知っている方も多いかもしれませんが、缶バッチやポストカードが完成しました。
缶バッチはデザイナーさんのデザインで何にでも合うかっこいい物になっています。
ポストカードは震災直後から撮り続けていた写真にスタッフの想いや実際に被災した方から頂いた文章をメッセージにさせていただいたものです。
その中に、子供の笑顔のポストカードが1枚入っています。

メッセージを見て震災当時を思い出し、胸がグッとなりました。
結論からいうとそのメッセージの言葉を言ったのは私の娘です。
震災当時の話を1度だけ松田君に話したことがあり、それを取り入れてポストカードにしてくれたのだと思います。
完成までそれを知らされていなかったので驚きと、当時の大変さを思い出しました。
津波後、娘以外の安否の確認は取れていました。保育園に行っていた娘とだけ連絡もとれず、その日は迎えにいくことはできませんでした。
12日、津波警報は解除されていませんでしたが、朝一番で歩いて迎えに行くことにしました。
3キロほどの距離なのですが、アスファルトは剥がされ、どこが道なのかさえわからない状態でした。その道中いろいろありましたが、今回はスペース上カットさせていただきます。
保育園に着くと、そこは避難所になっており人でごった返していました。とりあえず、建物が無事だったことに安堵しながら保育園の先生に挨拶に行くと皆、疲れた表情でした。
保育園のほとんどの生徒達は迎えを待ちながら一晩を過ごしたようでした。
娘の待つ教室に通されると、私が見つけるよりも先に娘が気づいたようで胸に飛び込んできました。
何も言わず、ギュッと服を掴む娘の手から、
『私達が心配していたように、この子も不安だったんだ…』
と知り、娘を抱いた瞬間、ポロポロと涙がこぼれてきて止まりませんでした。
そんな私を見て「パパ、1番に迎えに来てくれてありがと。」と笑顔で言いました。
帰り道、津波警報はまだ解除されていなかったのでいつでも逃げられるようにしっかりおんぶをして山道を選んで帰りました。
そこで昨日あったことを話しました。津波で家がなくなったこと、大事にしているおもちゃもなくなってしまったこと…。これからの事を考えるとまた涙が出そうになりました。
娘は黙って私の話を聞いていたあとで、
「ママとヨシツネは?」
と聞いてきました。
「大丈夫、元気だよ。」
と答えると、
「じっちとバッパとピィちゃん(曾祖母)は?」
と…。
「大丈夫、みんな逃げたから元気でいるよ!」
と教えてあげると、声が明るくなり、

と言ったのです。
「死んだ方が楽かもな…」と少しでも考えた自分が恥ずかしくなりました。
必要としてくれている人がいる。這いつくばってでも生きてやる。
この子たちが巣立つまでは見届けなければ、生き残った意味がないと…。
それから、縁があり秀視さんと出会い、子供達ために塾を開いたり、イベントを通してたくさんの人の笑顔を見ることができました。
秀視さんだけでなく、個人の支援者様、スポンサー様には本当に感謝しています。
今回のブログちょっと長くなっちゃいました。駄文ながら最後まで読んでいただきありがとうございました。
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